この記事はフィクションです。
立派な人が清算人に問いかけます。
一体、清算はどうなっているのか、どれだけ回収できるのか、いま何をやっているのか、元顧客にどう賠償するのか、説明責任はどう果たすつもりなのか、なぜ破産しないのか、、、、、、、、
やることをやっている、金を貸してあり返してもらえれば負債があるわけではない、だから破産はない、でもいま金はない、少額訴訟や支払督促は裁判所に行っても仕方がないのでほっておいている、オレだって頑張っているんだ、、、、、、、
「どこにお金を貸してあるのですか?」と私。
「例えば、会社E」と清算人。
会社Eといえば、親会社販売会社Aの関連会社じゃないですか!ぽろっと言いましたね。清算人は、結構素直です。
管理会社Bから親会社の販売会社Aに向う金の流れはやっぱりあったのです。
住所だの電話番号だのナンバーだの車体番号だのインターネットの掲示板に全て書かれて、マンションに行けば金を返してもらえるとでたらめを書かれて、マンションのフェンスを乗り越えて部屋まで来られるはひっきりなしに携帯に電話がかかるは、ひどいことになっていると、清算人は憤慨し始めました。
「訴えれば必ず勝てるからやれといっているのに、『損害を受けた方の気持ちも分かるからそれはしない』というんですよ。この男はあなた方が思うよりずっとまじめなんです」と隣の男。
全部私がしたことなので、私は「ここでばれるのではないか」と、ビクビクしました。
それでも、「つまり誰が悪いというんですか」と私が聞くと、二人とも口をつぐみました。
私は立派な人と一緒に行動しましたが、清算人の気持ちも分かるだけでなくどちらかといえば清算人に近い価値観を持っていました。
「社会に絶対的正義などないだろう。社会の規律は社会を保つためにあるのであり、規律を守るほど個人の自由は阻害されるだろう」
まあ、やくざの考えと同じです。
多分、清算人は確かに私の思うよりずっとまじめなところもあるのだと思います。でも、まじめなまま社会の規律を守れば、家族を守ることは出来なくなるかもしれません。「オーナー様」たちのために出来ることはやって、できないことは切り捨て、自分の家族を守ることを決心したのだと想像します。
この決心は強いでしょう。
はりぼてに描いたこの絵も、実は破られないように細心の注意を払ってあるに違いありません。