これは、「家主と地主」新連載の、黒川 鐘信さんという方のエッセイの題目です。
私はこの方を不明にして存じ上げなかったのですが、大変趣のある文章を書かれます。
「普請道楽」だったお父さんの思い出から始まります。終戦後の棟梁とのやり取りは消え行く粋を感じさせ、削りたてのかんなくずの香やたき火の熱などの的確な描写は、場面に読者を引き寄せます。
1965年7月、英米文学の勉強のため筆者は渡米します。船で東京からサンフランシスコに到着した時からの目のくらむような急展開が、読者の興味を呼び、期待を生みます。
それにしても、1965年、日本とアメリカは物質的にこんなに違っていたんですね。
到着した波止場で見知らぬアメリカ人男性に出会い、車で彼のアパートまで連れていかれます。この時の家の中の描写が見事です。
日本の生活では臭覚や味覚、触覚の記述が多用されていたのに対し、このアパートでは視覚の記述が主となり、二つの対比が際立ちます。そのため、絞りたてのオレンジジュースをもらって飲んだときの味覚の驚きが、大変強く伝わってきます。
このボブさんも外国人学生支援センターのベティさんも、アメリカ人の善良さを良く表しています。
まだ何も触れられてはいませんが、この時既にベトナム戦争は始まり、ケネディー大統領は暗殺されています。学生運動も激しくなっていくでしょう。学生生活にこれらが反映されるか、興味があります。
本誌の編集長から電話で、「家とか土地とかに関連のあるエッセーを連載しないか」と問われた (後略)
とのことですが、頼む側の着眼点も良いし、頼まれた側も期待にこたえたきちんとした仕事をしていると思います。
私も30年ほど前、初めてアメリカに旅行に行き、日系人の親戚の家に行った時の驚きは鮮明でした。
何軒かに行ったのですが、その中でも農家の方の自宅はとても巨大で、家中すべてがセントラルエアコンでドキモを抜かれました。
でも、こんな生活を世界中の人がしていたら、いっぺんにエネルギーが枯渇してしまうなと思い、現在それが現実に起こりつつある感じです。
車もドでかいリンカーンでした。
さすがにアメリカでも今は省エネ車が多いですね。
1965年というと、東京タワーも出来ているし東京オリンピックも終わっているので、エッセイの驚きはとても面白かったです。
アメリカの情報も、まだまだなかったんですかね。
それに、確かに私も子供の時と生活は変わりました。
私が初めてアメリカに行ったのは、1977年、その後2回アメリカで暮らしました。
初めてアメリカに行った時もエッセイほどびっくりした記憶もなく、この10年ぐらいでだいぶ変わったということでしょうね。
「家とか土地とかに関連のあるエッセイ」というのは、面白そうで今後を楽しみにしています。