立派な人との別れ 9

この記事はフィクションです

被害者の会」といっても、結成式をしたわけではなく、私自身も立派な人以外のメンバーには会ったこともメールのやり取りをしたこともありませんでした。立派な人が、ほぼ一人で活動していたのでしょう。

私は、「自分は少額訴訟で勝訴しているのだから、個人的に清算人に請求してよいだろう」と思っていましたが、一旦、清算人への請求や嫌がらせの方法を考えるのをやめると、心が落ち着いてくるのが分かりました。

このころには滞納もどうやら終わり、新しい会社に変わって下がった給料も少し上がってきて、妻も仕事を始め、「凍死家からすぐに抜け出すことは出来ないが、なんとか破産しないで済むかもしれない」という計算もたつようになってきました。

心に余裕も生まれ、2010年9月、この反省日記を始めたわけです。

その間、立派な人は、活動を続けていました。

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2011年最初の口頭弁論では、元販売会社Aの複数の関係者から、計画倒産にいたるまでのプロセスが具体的に証言されたようです。

ところが、裁判長は、証拠として十分ではない、と考えたようです。どのようにかは分からないのですが、それが弁護士にも伝わったようです。

被告が証拠書類を残しておくわけもありませんから、物証が少なかったのでしょう。

裁判長は、和解を勧めるのですが、被告は応じません。

事件から、2年が経った春、メーリングリストを通じて、立派な人からメールがありました。淡々とした文章でした。

  • これ以上、証拠を得るのが難しい。
  • 資金も尽きた。
  • 残念だが、訴訟の取下げを考えるのはどうだろうか。

ああ、やっぱりだめだったか。

でも、ここまで来て、どうして判決をうけないのでしょう。

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